2023年10月26日夕刻
実家の父親が飼っていた犬(♂推定8歳)
が死にました。
昔、保健所に連れていかれそうになっていたところを、
「殺すくらいなら引き取るわ」
と言って飼い始めた犬だったそうです。
実家にやってきた日(10/5)にちなんで
「とうご」
という名前をつけたそうです。
アメリカン・ピット・ブル・テリア(アメリカンピットブル)
と柴犬
のミックスという
かなり珍しい組み合わせだ。
ということでしたが、
たまに父親の代わりに「とうご」を連れて散歩に行くと、
他の犬を連れていらっしゃる方から、
「かわいい~。その犬って甲斐犬ですか?」
と聞かれるほど、外見が甲斐犬にそっくりでした。
(ネットにあった甲斐犬の写真です。毛並みが「とうご」そっくりです。)
ところが・・・、
シニア犬になっていたことも関係してか、
9月終わりに体調を崩し、徐々に歩けなくなっていった「とうご」・・・。
10/13に心配した父親が動物病院に連れていきましたが、さしたる原因がわからず…。
さらに1週間後、父親の代わりに病院に行った際には、
獣医:「アメリカンピットブルの寿命は、短いと8年くらいなので、もしかすると寿命の可能性もあります。ただ『とうごくん』は柴とのミックスなので、14,15年くらい生きるのかもしれませんが、あまりないケースなので…。」
どうかピットブルの血よりも柴犬の血が濃くあってくれ!
と、家族全員が願っていましたが・・・。
その1週間後「とうご」は亡くなりました。
父親も母親も、駆けつけた妹も、そして嫁も小学生の息子も、
あまりにも・・・
あまりにも早すぎる「とうご」の死に大号泣・・・。
あとになって小3の娘から
「なんでお父さんだけ泣いてなかったの?悲しくないの?」
と、かなりするどい突っ込みが入ったので、
J:「『とうご』が死んだことはもちろん悲しいよ。でも、人でも動物でも生まれてきたものは必ず死ぬんやから。死ぬことは別に悪いことでも、間違ってることでもなくて、普通のことやって思っているからかなあ・・・。それに『とうご』は、もし、じいちゃん(父親)に引き取られんかったら、8年も生きれんかったかもしれんやろ?・・・そう考えたら『とうご』はここで8年、みんなと一緒におれて、逆に幸せやったんとちゃうかなあ…。って思ってさ…。」
娘:「そっかあ~。だからお父さんは泣かんのかあ…。」
(いやいや、そんな冷酷無比な人間じゃなくて、あなたの見てないところで泣いてますよ!)
と思いつつも、小学生の息子も娘も「身近な家族の死」というものについて、何かしら感じるところがあったんだろうな…と思いました。
今回の「とうご」の死は、彼らにとってそういった機会になったようです。
最後に・・・。
『とうご』へ。
7年前、小浜に戻ってきて初めて会ったとき、
『とうご』の、あまりの気性の荒さと力の強さに、
「これはとんでもない暴れん坊がやってきたんやなあ…」
と思ったことを今でも覚えています。
1年前の、雪が降り積もっていた冬の日曜日。
年齢的にもシニア犬になり、
「散歩に行っても、昔ほどグイって引っ張らんようになったよ。」
と父親に言われ、
(それじゃあ…)と、
体調がすぐれなかった父親の代わりに散歩に行ったとき、
海岸通りの人魚像の前で、立ち止まったかと思うと急に
「グイっ」
とリードを引っ張った「とうご」。
そのせいで雪に足を滑らせて、見事に1回転して転んだこと。
そのとき、通りがかりのおばさんに(半笑いの表情で)
「あらら~。大丈夫~?」
と聞かれ、
「全っ然、大丈夫っす!」と強がったこと。
でも翌日から、(転んだ時に下側になった)左半身がめちゃくちゃ痛かったこと。
たまに「とうご元気か~」と言いながら、
スキンシップのつもりで軽く胸前や背中をさすると、
「もっとやれ。途中でやめるな!」と前足で何度も催促したこと。
思い出は尽きないけれど、本当に楽しい時間でした。
ありがとう。
「とうご」
また 会おう。
実家の父親が飼っていた犬(♂推定8歳)
が死にました。
昔、保健所に連れていかれそうになっていたところを、
「殺すくらいなら引き取るわ」
と言って飼い始めた犬だったそうです。
実家にやってきた日(10/5)にちなんで
「とうご」
という名前をつけたそうです。
アメリカン・ピット・ブル・テリア(アメリカンピットブル)
と柴犬
のミックスという
かなり珍しい組み合わせだ。
ということでしたが、
たまに父親の代わりに「とうご」を連れて散歩に行くと、
他の犬を連れていらっしゃる方から、
「かわいい~。その犬って甲斐犬ですか?」
と聞かれるほど、外見が甲斐犬にそっくりでした。
(ネットにあった甲斐犬の写真です。毛並みが「とうご」そっくりです。)
ところが・・・、
シニア犬になっていたことも関係してか、
9月終わりに体調を崩し、徐々に歩けなくなっていった「とうご」・・・。
10/13に心配した父親が動物病院に連れていきましたが、さしたる原因がわからず…。
さらに1週間後、父親の代わりに病院に行った際には、
獣医:「アメリカンピットブルの寿命は、短いと8年くらいなので、もしかすると寿命の可能性もあります。ただ『とうごくん』は柴とのミックスなので、14,15年くらい生きるのかもしれませんが、あまりないケースなので…。」
どうかピットブルの血よりも柴犬の血が濃くあってくれ!
と、家族全員が願っていましたが・・・。
その1週間後「とうご」は亡くなりました。
父親も母親も、駆けつけた妹も、そして嫁も小学生の息子も、
あまりにも・・・
あまりにも早すぎる「とうご」の死に大号泣・・・。
あとになって小3の娘から
「なんでお父さんだけ泣いてなかったの?悲しくないの?」
と、かなりするどい突っ込みが入ったので、
J:「『とうご』が死んだことはもちろん悲しいよ。でも、人でも動物でも生まれてきたものは必ず死ぬんやから。死ぬことは別に悪いことでも、間違ってることでもなくて、普通のことやって思っているからかなあ・・・。それに『とうご』は、もし、じいちゃん(父親)に引き取られんかったら、8年も生きれんかったかもしれんやろ?・・・そう考えたら『とうご』はここで8年、みんなと一緒におれて、逆に幸せやったんとちゃうかなあ…。って思ってさ…。」
娘:「そっかあ~。だからお父さんは泣かんのかあ…。」
(いやいや、そんな冷酷無比な人間じゃなくて、あなたの見てないところで泣いてますよ!)
と思いつつも、小学生の息子も娘も「身近な家族の死」というものについて、何かしら感じるところがあったんだろうな…と思いました。
今回の「とうご」の死は、彼らにとってそういった機会になったようです。
最後に・・・。
『とうご』へ。
7年前、小浜に戻ってきて初めて会ったとき、
『とうご』の、あまりの気性の荒さと力の強さに、
「これはとんでもない暴れん坊がやってきたんやなあ…」
と思ったことを今でも覚えています。
1年前の、雪が降り積もっていた冬の日曜日。
年齢的にもシニア犬になり、
「散歩に行っても、昔ほどグイって引っ張らんようになったよ。」
と父親に言われ、
(それじゃあ…)と、
体調がすぐれなかった父親の代わりに散歩に行ったとき、
海岸通りの人魚像の前で、立ち止まったかと思うと急に
「グイっ」
とリードを引っ張った「とうご」。
そのせいで雪に足を滑らせて、見事に1回転して転んだこと。
そのとき、通りがかりのおばさんに(半笑いの表情で)
「あらら~。大丈夫~?」
と聞かれ、
「全っ然、大丈夫っす!」と強がったこと。
でも翌日から、(転んだ時に下側になった)左半身がめちゃくちゃ痛かったこと。
たまに「とうご元気か~」と言いながら、
スキンシップのつもりで軽く胸前や背中をさすると、
「もっとやれ。途中でやめるな!」と前足で何度も催促したこと。
思い出は尽きないけれど、本当に楽しい時間でした。
ありがとう。
「とうご」
また 会おう。